謝罪とか、納得とか。

予想していなかった結果となった医療に対し、当事者および家族が納得するのは非常に難しい。
「真実を知りたい」
こういうフレーズをよく聞くが、本当にそうか、というのは、私の体験上でもなかなか難しい問題だ。「真実」よりも、「都合のいい内容」を聞きたいことの方が多いからだ。「真実」を聞くと、かえって怒りだしてしまって話し合いに収拾がつかなくなるようなことはよくある。だから、耳障りのよい謝罪の言葉を並べておいて、納得してもらうというようなことが起こるのだろう。
ただし、そこには、限界がある。あまり謝罪しすぎて、ミスしたわけでは無いのに医療側が悪かった、みたいなふうに取られるような状況になって、お金のからむ話になると大変だ。そこまで謝らなくても、と思うけども、そこらへんの見極めはすごく難しい。私自身も、別にミスしたわけではないが、患者さんの納得できない結果に終わったときに、とにかく謝った経験がある。今から思えば、患者さんに納得して頂いたからよかったものの、ちょっとDQNな患者さんと家族だったら、そこに付け入られて、今頃は賠償金を払うのに大変だったかも知れない。
何か不幸な結果が起こったときに、私を含めて、大抵の医師は、平気ではないのだ。自分のミスじゃなくても、申し訳ないキモチで一杯になるのだ。その状況で、自分が悪いように謝るというのは、どっちかって言うと精神的に自傷的行為なんだけど、それでも患者さんの気持ちが少しでも癒されるなら、と謝ってみたりする。違うかなぁ。
そこに、当事者以外の、マスコミとか、警察とか入ってくると、もうなんだかわからないよな。患者さんに納得してもらうための、ウソではないけど、まあ言い回しみたいなものを、医療ミスの根拠みたいに叩かれちゃうのは、どうなんだろう、と。福島事件の報告書とか、先日の奈良事件の院長会見なんかの記事を見て、そういうことを思うですよ。「長」がつく人の資質が問われる時代になってきたな。自分は、何かの「長」にはなりたくないし、なる予定もないけど、そうなったらどうしよう*1、と資質不足の自分を顧みて思う。
ちょっととりとめないけど、今日はおしまい。

*1:おお、そういえば、かつては所属オケの選曲委員長だったな。いちおう「長」だ。