選ぶもの・選ばれるもの

テレビドラマ「医龍2」ですが、せっかく岸部一徳さん演ずるところの野口先生が、現代の医療の問題点をズバッと言ってるのに、大学が外資と組んで金儲けの方向に進んでいるから、その問題提起も胡散臭いものになってしまってるのが残念。十分な医療を提供する代わりに、お金もしっかり取る、と。金持ちだけが選ばれる、というスキームですね。
医師を増やして、競争を増やして、ダメな医師を淘汰するというような発想がありますよね。まあそれ自体は全然悪い話じゃないし、とにかく医師のアタマ数が増えないことにはどうしようもないので、別にいいと思います。医師の中にも特権を維持(維持するような特権があるとも思わんが・・・)するために医師を増やさない、と言ってる人がいないとは言わない。が、どうやって増やすか、教育の方法は、とか各論はさておき、殆どの医師の皆さんは人数を増やすこと自体には賛成のはず。自浄作用としての自然淘汰は、どんどん起こるべきだと思う。
でも、「医師を増やせ。ダメな医師は淘汰されるべき。いい医師を患者が選ぶ時代が来るのだ」という発想は、ちょっと危険だなと思う。患者が選ぶいい医師が必ずしもいい医師なわけではない可能性はさておき、仮に良い医師・悪い医師の格差が明らかになったとしても、良い医師にすべての患者が見てもらえる可能性は低くなると思う。いい医師に見てもらえるのは、選ばれた患者だけ、という事態も十分に想定される。医師を選ぶように、患者も選ばれる時代も来そうな気がするし、いま現在、その傾向は一部診療科ではすでに現実のこととなっている。選ぶこと、選ばれること、それは患者の立場でも、医師の立場でも両方で起こりうることだろうし、これからの時代で医療だけに限らずいろんな場面で起こってくることなんだろう。
自分が何かを選ぼうとするとき、自分自身も選ばれる立場になるということを忘れてはいけない。