へぇ〜
http://tyama7.blog.ocn.ne.jp/obgyn/2008/05/post_d6f6_11.html#comment-8169426からです。いつも拝見しております。コメント欄の話。
(前略)
われわれの地域は古くは自宅分娩が産婆さんで行われていた時代が長かったのですが、その後一人ひとりでは大変ということで、『母子センター』が自律的に作られ、それが行政的に支援されて各部落ごとに『母子センター』が作られました。
それは町民からは好評でにぎわったということです。数少ない産科医は嘱託医としてトラブルの時には自院の診療を放っておいて駆けつけたそうです。
ただこの『母子センター』も結局は10数年ほどしか続かず診療所や病院分娩という現在の形に移行していったと言います。最後に『母子センター』が廃止されたのは昭和50年頃のようです。
問題は、この『母子センター』が廃止になっていった原因で、それは毋児の医療事故(毋児死亡)が起こったとき、現場の助産婦が非常に辛い目にあった事が原因のようです。1件そうした事故が起きると、助産婦さん達は一気にモチベーションが下がり、病医院の勤務へと移り変わっていったようです。
市民の『お産安全への期待感』は30年前に当時近代産婆として有能であった多くの助産婦達を分娩の現場から立ち去らせ、今またその後を継いだ産科医を立ち去らせようとしているだけのことです。
司法を含めた市民社会全体がアプリオリな前提とみなしている分娩安全神話を自ら疑わないかぎり、結局は今後集約化された施設と国の助成した助産所の中で再び同じことが繰り返される予感がします。
(後略)
へぇ〜そういう歴史もあるんですね。結局、イヤなことは人任せにして、自分さえよければいいっていうことなんじゃないかと。つまり、分娩において、ある一定の確率で不幸なことが起こったときは、それはその当事者に全部押し付けてしまって後は知らんぷり、ってこと。本当なら、国全体で考えなきゃいけないことなんだけどね。もう、今の国民全体がそうなんでしょうね。ま、ドロッポな私が言えた義理じゃぁありませんがね。
そういう意味では、正常分娩だけやりますよ、っていう選択は賢いのかも知れません。産科医どころか助産師さえ必要ないかも知らないツルツルの安産に立ち会って、「おめでとう」って言えばいいだけの仕事ですからね。けどそこには、「正常分娩かどうかは分娩が終わってみるまでわからない」という大きな矛盾をはらんでいるわけですが。そこまでのリスクを考えると、最後は、「診たら負け」な世界かなと。