司法判断

今日判決の日を迎える。様々な医師ブログがあるが、みんながみんな「無罪を信じてます」「無罪以外にありえません」みたいなコメント。確かにそうなんだけど、これは、医師以外の人がみたら、とっても気持ち悪い集団だろうな、と思わないでもない。どういうふうなアピールの仕方が一番効果的か、そういうことも考えさせられる今回の事件であった。
「この事件が有罪になれば、日本の医療は崩壊する」というフレーズをよく聞くんだけど、これは、医療側からすれば警告なんだけど、一般の人が見ると脅しに見えるらしい。ただ、昨日も書いたけど、「別に有罪でも無罪でもやっぱり日本の医療は崩壊する」と思うので、もう「有罪→崩壊」というフレーズは使わない方がいいんではないかというのが私の意見。そういう意味では、日本の医療のためには有罪か無罪かはどちらでもいいと思う。K先生ご本人のために無罪を祈ろう。
さて、この状況で、有罪が出る可能性もあるのだから、その時に何をするべきか、考えてみる。医学的には何の非の打ち所もない処置で逮捕・起訴されているわけだが、それは医師側が言っていることで、他の方々(法曹も含め)には何のことだか分からない話なんだろう。で、一生懸命公判で説明したわけだが、分かってもらえない可能性もあるわけで、その結果有罪になることはあり得る。その場合は、法を預かる人たちが、そういう医療をやってはいかん、ということなんだから、防衛医療に徹する、という結論でいいんではないかと思う。アメリカが「保険」医療に徹しているように。
今回の事件はいろいろ教訓を残してくれたと思う。県が作った報告書が発端で事件となったようで、ただ警察も途中でこの報告書が示談金を得るために書かれたものだと気付いたのか、公判では証拠として採用されてない。でも立件・公判維持に有利な供述を得るために被告を逮捕・拘束したんではないか、と被告弁護人も発言している。ゆえに、患者さんの救済目的であろうがなかろうが、中途半端な報告書は作らないこと、もし、過失が無いと思われるのなら、過失を認めるような報告書を作らせないこと、ということが大事になるであろう。で、今回、K先生は、警察で事情を聞くと言われて連れていかれて、行った先の警察で逮捕されてしまったわけなので、警察に呼ばれる時には必ず弁護士を連れて行く、というのも教訓かと。
当事者の先生方にはとりあえずお疲れさまでした、と言いたい。司法がこれからの医療をどうしようと思っているかが分かる、という点で今日の判決が楽しみではある。