おバカタレントな人たち

「芸能人」というのは社会人としての一般的な社会常識があるのに加えて、何か秀でた「芸能」があるからの呼び名であって、そうではない最近の「芸能人」は「低能人」である、と、通っていた予備校の恩師が20年近く前に言っていた言葉が思い出される。おバカタレント的な人たちが最近人気があるこの御時世を、恩師は草葉の陰でどのように見ているのだろうか。
誰でも知っているようなことを知らないが故に「おバカ」扱いされるのであるが、それが人気がある、というのは、視聴者が多少求めているからだと思うが、その「おバカ」さを愛している、というよりも、自分でも知っているようなことを知らない、ということで自分よりも下のものがいる、という安心感だとすると少しコワイ。江戸時代に、農民は士農工商ヒエラルキーの敢えて2番目においていたり、より下の身分を作ることでガス抜きをしていた時代と、イメージが重なる。
でも、そのタレントたちのその受け答えを見ていると、「おバカ」を露呈しているように見えて、どこまで本気でどこから演出なのかは、よく分からない。何らかの緻密な計算があるとすれば、それは立派な「芸能」であると思う。ただ、「芸能」だから許されることと、一般の我々の生活で許されることは、違うということは視聴者は誤解してはならないのだが、テレビの世界は、恐ろしい価値観を押し付けてくる。おバカ礼賛であったり、不良ドラマ礼賛であったり。ドラマ・バラエティーの話だけかと思えば、報道もヒドイですねぇ。医療報道における感情論の押し付けは有名なところですが、最近では、ノーベル賞の報道の下世話さといったら。ま、彼らのすることは、取材対象をいかに自分のレベルまで引きずり下ろすかということだから、そういう点ではおバカではなく仕事のできる人たちなんでしょうけど。