ネガティブ

先日、夕食を食べに定食屋さんに入ったら、後から来た客が長テーブルの私の正面に座ったのだが、それはクラブの後輩であった。が、私のことを気づいたのか気づいてないのか、会釈もしない。もともとそんなに付き合いのある後輩ではなかったし、私の外見が大きく経年変化(メタボ変化?)したため気づかないのかも知れないし、そのままにして食事を終えた。
実際のところ、学生時代に、その後輩には嫌われていて、まあそれをひきずってるというのもあったんだな。私としては当時、その後輩のことをそんなにキライでも無かったが、キライだと言ってる人を好きになる理由はなかろうということでだんだんこっちもキライになっていった、という悪循環。そういうことを、自分が先輩にもしてなかったか、ということを省みると、微妙だな。
キライ、というネガティブな感情は、抱くことにすごいパワーを必要とする。それもすごくネガティブなパワーである。で、そのネガティブなパワーは、ネガティブな影響しか及ぼさないような気がする。なので最近は、キライになりそうになったら無関心、という感じになっている。そういう点では、「愛情の反対は無関心」というのは正しいような気がするな。