正確な判断

陣痛は痛い。
自分の経験はないので実体験としては語れないが、そばで見ている限りでは、そりゃ中には全然大丈夫みたいな妊婦さんもいらっしゃるけど、大部分の人たちにとっては結構痛そうだ。女性は痛みに強いとは言っても、それでもあれだけ痛がるのだからやっぱり痛いんだろう。
で、夫や妊婦さんの母親が付き添うケースをよく見かけるが、痛がる妊婦さんを見て、陣痛の程度としてはそんなに大したことがなくても、「なんとかして下さい」「帝王切開して下さい」なんて言ってくることがある。まあその気持ちは分からんでもないんだけど。本当に痛そうだし。夫の場合、男の人なんてお産の時にはあんまり役に立たないので、ここで助産師さんとか産科医とかに自分の妻を守るような発言をすることで、何とか自分の役割を果たしていると思いたいという要素もなくはないんだろうな。
しかしながら、ここが難しいところで、以前なら、「これくらい我慢しなさい!」と一喝できたものでも、最近はやっぱり訴訟がコワイし、どんなに順調に進んでいるお産での一寸先は闇だから、いざ分娩が終わってみたら多少なりとも不幸な結果になることもないではない。とか考えると、「だからあの時に『帝王切開して下さい』と言ったのに」、とか言われてしまうシチュエーションを考えてしまう。
一部の過激な経膣分娩賞賛の人たち程ではないにしても、産科医療に関係する人間ならやはり不必要な帝王切開は避けたいと考える。帝王切開が絶対的な適応という病態については議論の余地はないが、そうではない部分は産科医ごとに多少個人差があって、そこらへんを「あの先生は切りたがる」とかそうじゃないとか世間に言われるのかな、と思う。そこらへんは、その医師個人がいかに痛い目にあったか、経験と強く関係するんじゃないかとは思う。まあ当直するたびに帝王切開の絶対的な適応の疾患ばかり引き当てる多少星回りの悪い産科医もいますが・・・・そういう人は決して切りたがってるわけではないんですが、なぜか毎回切っている。
で、話を戻すと、その夫、場合によっては本人、時に付添の実母さんが言う「もう帝王切開にして下さい」という発言が、帝王切開の適応に影響してないか、という心配。要するに、「この人はまだ帝王切開にする強い理由がないけど、何か起こったら困るし本人(または家族)ももう切ってくれって言ってるし切っちゃおか」みたいな判断が働かないか、ということ。切ってしまうと、もし切らなかった時にその分娩がどんな流れになるのか、切るというその判断が正しかったのかどうかは誰にも分からなくなる。まあ切らなかったとしても、後で母体や児に問題があった時に、切らなかったという判断が間違いだったということが分かるだけなのだが。児が元気かどうかという尺度でしか判断されないから、なかなか難しいよな。
結果が悪かった場合に、「何ですぐ帝王切開しなかった」という非難を受けることはあっても、何らかの理由をつけて帝王切開をしたことに対して「何で帝王切開しなきゃいかんのだ」という非難を受けることは、まあ少ないのではないだろうか。産科医としては、いかに適切に医療介入をし、いかに必要のない医療介入をしないか、というところが一番のポイントなんだが、必要のない医療介入をしないことが「放置された」と非難されることもあり、なかなか難しい。産科も若いうちは、いろいろな手技を出来ることがうれしくて、陣痛誘発、吸引分娩、果ては帝王切開と、何か「した」ことに対して充実感を覚えることもあるものだが、実は何もしないという判断をすることが一番難しい。上述のように、いろいろ考え出すと、あれやこれやと手を出し、それが感謝されてしまったりするし。「何もしない」のはとても勇気がいるもんだ。まあ、中には単にもう思考停止してしまって、放置という意味で「何もしない」という人もいるかも知れないが(これはとっても危険)、妊婦さんやその御家族には「放置」なのか「十分に考えられた上での何もしないという選択」の区別は難しいだろうな。
同様のことは陣痛促進剤にも言えて、陣痛促進剤を使えば経膣分娩でスッと産まれるのに、と産科医が思っても、昨今の陣痛促進剤に対する風当たりを考えて、「余計なおくすりは使わずに自然に経過を見て生まれなければ帝王切開しましょ」みたいな説明になることもありうるだろうな。
まあこれまでの産科医の考え方がすべて間違いで、妊婦さんや家族の判断で何事も進めるべきだ、という世間の流れなら仕方のないことですが。