ハイハイ

超映画批評『玄牝 -げんぴん-』70点(100点満点中)
私には、このエントリのタイトルにしたようなコメントしか出てきませんな。
敢えて何か言うなら、私は医療側の人間だが、自然派出産なるものを否定もしないし、やりたい人はやればいい。だが、どうしようもなくなってから、医療に頼るのはやめてくれ、ということだけだ。某医院からの搬送はすべて妊婦側の希望だということをどこかで聞いたことがあるのだけれど、だとしたら、某医院の医師その人は最後まで自然を貫く覚悟をしているのだけど、自然派妊婦が自然を貫けない、ということになってしまう。「自然」の意味するところは、「『医療』に比べてはるかに高い新生児死亡と母体死亡」なのだと思うが、それを某医院でちゃんと説明しているのかは分からないが。リンク先の記事中で、

 「安全性第一」がいつのまにか「母子の命さえ救えば文句はなかろう」になりかねない一般の医療施設ではおろそかにされがちな、「産む喜び」「産む快感」を味わいたい女性たちが、全国からここにやってくる。
(中略)
 人間の一生は試練の連続である。その第一歩、誕生の試練すらくぐ抜けられぬような命では仕方がない。そんな価値観で、死産すら受け入れるこの病院(とそこに集まった妊婦たち)は、ごく一般の日本人の目にはどう映るだろう。安全と生を至上とする価値観に凝り固まった目では、到底理解できないかもしれない。

 だから医療出産派と自然出産派の議論は、永遠にかみ合わないのが常。後者は前者を理解はできるが、前者は後者を理解できない(したがらない)。だいたいそんな感じだ。我が国の周産期死亡率の低さを見て満足しているような人々には、ここに出てくる人たちの悩みや目指すものはまず見えてこないだろう。

などと批評する筆者は、自分の妻(あるいは自分そのもの)が出産で死ぬということも許容しているのだろうか? 「こんな立派な映画批評を書いてますけど、私は実は医療出産派です(笑)」なのかも知れないが。