言いわけ

http://blog.nikkansports.com//nikkansports/writer/archives/2006/11/post_575.html
こういう記事を「言いわけ」といいます。
何も知らなくても、とりあえず記事にしていいそうです。マスコミっていい仕事だな。何も知らなくても、とりあえず治療したりしたら、即有罪の道が待っている我々とすれば。
この記者の言い分の中には、家族が死んだときに、医療ミスが無いにもかかわらず、とりあえず医者を殴ってみる遺族と、同じ匂いを感じます。 

医療現場の声聞いて:井上真
 厳しい意見をいただきました。前回、奈良の町立病院で妊婦が出産中に意識を失い、18病院が受け入れ不可能と判断、約6時間後に男児帝王切開で無事出産も母親は死亡したことで、私は医療を批判しました。そして医療関係者から、実態を知らずに書いたことへの抗議と、現状を知らせるメールがたくさん届きました。
 多くは「感情むき出しの批判の垂れ流し」との声でした。その通りです。改善策も示さず、感じたままを文字にしました。
 医療がどれだけ混乱しているかを、どんな形であれ読んだ人に痛烈に、思い知ってもらいたいと思いました。主観を前面に、一方的な視点で言葉を投げることにしました。なぜなら、私のように無知でも、病院は救ってくれるんだと信じ、医者にすがるしかない人が、どれだけ深く絶望したかを、そのまま伝えたかったからです。読んですぐ忘れられてはいけないテーマと思い扱いました。読む人の心に石を投げ込むように書きました。
 「知りもしないで」との声もありました。知る→書く、知らない→書かない。これは論理的なことです。我々の仕事は、知る→取材→書く→検証、の連続です。一方でこうしたコラムに臨む時、大きな驚きや失望に接した時「知らない」「取材していない」の理由で書かないことには疑問があります。問題が起きたその時に、伝えたいものがあるのなら、事実を踏まえてどれだけ提起できるか。これも求められると思います。
 今回のケースは<1>産婦人科、脳外科、麻酔科、小児科などの医師、大勢のスタッフが必要な非常に難しい状態だった<2>地域に対応可能な高次医療機関の不足(社会保障への国、地方行政のあり方も関連)<3>度重なる訴訟で、助けられそうにない患者は引き受けない、いわゆる「防衛医療」への加速化、などが背景に考えられます。
 訴えられるケースが増え、産科医、小児科医などへのなり手の減少もあります。病院の能力以上の患者を受け入れ、それ以前の入院患者への対応が不安視される時、病院は「引き受け不可能」と判断する。現場の生々しい言葉でした。
 まるで診察をするように、私への感情を抑え、静かに真実を伝えようとする文章がありました。現場には「助けたい」と懸命に働く人が多いことも今さらながら十分に分かりました。
 医療現場の病巣は深く、いつ、どこで、誰が同じ目に遭うか、不安はみんなが抱えています。知れば知るほど絶望します。「なぜ助けてくれないの」。私は弱い側のやり場のない悔しさを医療へ向けて投げました。そして「救いたくても救えないんだ」の声を聞いたその先に、強いはずの医療が実はもろく、その崩れ方を知らずに「助けてもらえる」と信じていた現実を知りました。
 医療が命を救う、その根元が折れそうです。人は必ず医療の力を必要とします。例外なく誰もが、この混乱を「冷静」に見つめて行くしかないと自戒を込めて感じました。