確かにね。

いつもお世話になってます
民主党公認 「はたともこ日記」ブログ 室町時代からその名が残る「助産師」の活用を忘れてはならない | 勤務医 開業つれづれ日記のコメント欄より。

■わからんちんが多すぎますよね。
臨床実習で帝切の見学をしました。

胴体と頭の間は布で仕切られていて、母親には自分のおなかの様子がみえないようになっていました。赤ちゃんが取り出されて産声が聞こえると、一人の人間の体の上で仕切り布を境にして世界が二分しました。頭側では母親は大粒の涙をうかべて感動し満足げ、一仕事終えた顔をしている。看護師さんたちは生まれた赤ちゃんの作業をしたり、華やいだ声でおめでとうございます、よかったですねと写真をとったり祝福ムード全開。その布一枚となりでは腹の上に赤ちゃんが入っていたサイズの子宮がごろんとのっかっていて、医師と手術室の看護師はつづいて黙々と閉腹の作業にむかっている。その様子を見て、これはもしかして「助産師の安心の出産」と「医師による無機質な出産」の雰囲気の対比かな、と思いました。誰の努力で安心が得られているのか。あまりに世界が違いすぎて嫌悪感で吐き気がしました。こんなにがんばってるのにどうして産科医はたたかれまくっているんだろう?って。

幸せムードいっぱいの瞬間を母親と共有する場に顔を出さない(実際出せない)医師は、そりゃあ冷たい存在にも思えるでしょうよ。でも、血だらけの腹には目もくれず笑ってカメラのシャッターをきる人間と、必死で血をとめようとしている人間と、どっちが果たして「人として温かい」んでしょうね。腹立つ。
pepe (2007-06-19 17:25:13)

臨床実習ということは、ポリクリの学生さんでしょうか。こういう対比の仕方は、考えたことが無かったので新鮮です。カイザー中に、幸せモードの祭りに参加することもないではないですが・・・ま、子宮切開創の止血なんかで忙しい時期だからなかなか難しい。で、純粋に閉腹、っていう時期になると、もう赤ちゃんは助産師に連れてかれてていなくて、微妙な静寂が手術室を支配するわけだな。で、こっちは必死だったもんで、赤ちゃんの性別を覚えてなかったりして、軽く妊婦さんに顰蹙をかってしまったり。ま、無事に生まれさえしてくれれば、黒子でいいんですけどね。遠い思い出話でした。