今日は大淀病院の裁判があるらしい。

といっても私にとっては学会発表の本番。まだ朝の4時半だが、目が覚めてしまう。かなり緊張しているようだ。私自身に余裕が無いのと、時差があるのとで、ネット医師の皆さんのおびただしいエールのエントリにはちょっと引き気味の私。
昨日、夕食の時に、ボスに、「将来はどうする予定だ? 臨床に戻るのか?」と聞かれて、「今の日本の医療では、医療過誤が起こると、医師が逮捕されたりするので、できれば戻りたくない」と答えてしまった私。医師であること、臨床医であるということに、将来の希望も誇りも見いだせないでいるという現状は、あまりに悲しい。ま、私自身のコミュニケーション能力を考えれば、臨床をしないほうが社会に貢献していると言えないでもないが。
昔、予備校で受けた英語の講義の中で、laborとworkに関する文章があって、今でもその内容が忘れられない。

 Laborとは、カネのために働くことであって、Laborerたちは、休日を楽しみにして働くものである。Workとは、その仕事自体が楽しい、生活の中心なのであって、workerたちは、働きすぎに注意しなければならない。

「若い皆さんは、是非、workerを目指して下さい。Workerをしている人生の先輩からのメッセージ。」がその講義の締めくくり。大変印象深かったものだ。
ある意味、日本の医師たちはworkerが多くて、その献身的犠牲によって日本の医療システムが成り立ってきたという要素はあると思う。でも、その医師たちが、もしもLaborerにシフトしていってるとするならば、どうだろうか。そうなると後はカネである。「十分なカネさえ入れば、まあいいや」と思って医師をしている人たちに診察されることが、患者さんたちにとって、幸せなのかどうか。Workerからlaborerへのシフト、仕事に対する誇りを失わせたもの、心を折ったものは何か。医師自身の問題なのか、医師だけが社会から責められるものなのか。
Workerを目指し、一時はそうであったものの、臨床医であるということに関してはlaborerになった、一医師のつぶやき。それでも、最後にはworkerとして人生を終わりたいと強く願う。