グッとくる話。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060721-00000063-mai-soci
すみません。根が単純なもんで。
そのひとなりに頑張っている、ということを、評価してあげるということが、なかなか出来ないのだな。自戒をこめて。

<イルカ>運動音痴のラッキーに家族連れら声援 東京・品川
 運動音痴のイルカがいる。名前はラッキー。オスで推定10歳。品川プリンスホテル(東京都港区高輪)のエプソン品川アクアスタジアムで、ショーに出演して暮らしている。
 仲間のカマイルカ3頭は、高さ6メートルのジャンプをこなす。でも、ラッキーは3メートルちょっと。尾びれで立ち上がり水上をバックする芸は出来ない。みんなが終わるのを所在なげに待っている。
 群れで1頭だけのオスだが、一番の怖がりだ。一番芸の覚えが悪くて、一番くじける。だけど、一番大きな声援を受ける人気者だ。
 これでもずいぶん頑張って上達したから。「ラッキー、いいぞ」って。何だか、やさしい気持ちになれるから。「うまく出来なくても、いいじゃない」と。
 今日も奮闘ぶりを見に、家族連れやおじいちゃんおばあちゃん、ちょっと疲れたサラリーマンも、円いプールサイドにやってくる。
 ◇飼育担当の土屋さん…他と比べず、ほめてほめて
 品川プリンスホテル(東京都港区高輪)エプソン品川アクアスタジアムの人気者、イルカのラッキー。運動が苦手なうえ、すぐにくじけてしまう彼を、ショーのメンバーに育てたのが、飼育担当の土屋祐(ゆう)さん(24)だ。「のんびり、無理せず、出来た時はほめる。心がけたのはそれだけ。だって、ラッキーは自分なりに頑張ってるんですから」
 ラッキーが水族館に来たのは、99年5月。群れの4頭と一緒に日本近海で漁業用の網にかかり、保護され運ばれた。同じプリンスホテルグループの八景島シーパラダイス横浜市金沢区)。人間でいえば、まだ小学生ぐらいの子どもだった。
 土屋さんが専門学校を卒業し同グループの水族館員に採用されたのは、3年後の02年6月。翌年、成長した5頭の訓練が始まった。土屋さんも新人。「最初から1頭だけ運動音痴。それは仕方ないんですが、人を怖がるので、まず慣れてもらうのが、ひと苦労でした」
 呼んでもなかなか来てくれない。来ても、触ると逃げる。同じ場所にじっとしていられない……仲間がすぐ出来ることに、ラッキーは時間がかかる。そろってショーを披露するアクアスタジアムのオープンまで、あと2年を切っていた。
 「でも、あんまり焦りませんでした。僕も勉強、嫌いでしたから」
 土屋さんが「水族館の飼育係になる」と、専門学校への進学を決めたとき、母まち江さん(53)は泣いて「大学に行きなさい」と止めた。就職があるか分からない。夢より現実、と。母一人子一人で、小学校から塾に通わせてくれた。すまないと思いながら、折れなかった。「大好きなことなら頑張れるから」
 ラッキーを教える時も「訓練を嫌いにならないで」と願い続けた。賢い子。自分だけ芸を出来ないと、いじける。「だから他のイルカと比べず、出来なかったことが出来たらほめる。ほめてほめてほめまくる」。その日の訓練は、そこでやめることも。「出来た記憶を残して、無理しない。得意になれば、自分からするようになりますから」
 昨年4月、スタジアムがオープン。人間でいえば20代の青年になったラッキーは、土屋さんとショーデビューした。1頭だけジャンプは出来なかったが、訓練当初を思えば画期的な進歩。そしてまち江さんは今、毎週のように客席に陣取り、誰より大きな声援を送る。
 「お袋が、よその親御さんに『専門学校もいいわよ』なんて勧めてる。笑っちゃうけど、うれしいですよね。喜んで、ほめてくれる人がいるのは。ラッキーも、きっとそうだと思うんです」(毎日新聞) - 7月21日15時19分更新