連載またやってるみたい

お産SOS: 第5部/研修医
東北の方の新聞の連載。またやってるみたい。で、何が言いたいのかはよくわからん。
と、ここまで書いて、文章を読解するには、「イイタイコト」を理解するのが云々、という某S台予備校のテキストの文句が頭に浮かんで少し悲しくなる。なんのこっちゃ。
(3)学位と臨床/向学心尊重 研究に門戸には、東北の方の大学の取り組みについて書いてある。初期研修医をしながら大学院博士課程に在籍して、学位を取れるらしい。研修医の仕事をしながら出来る研究って、どんなんだろう、と想像してみるが、想像力の足りない私には出来なかったよ。研修医の仕事は、何かのかたわらに出来るほど暇では無かったし、大学院での研究は、医師としてのバイトをするヒマくらいはあったけど、じゃあ本格的に他の仕事がある状況で出来るかと言われたら微妙だな。今、まさに大学院で研究してる後輩たちの環境を見ると、研修医並に忙しい生活を送っている者もいるし。彼らが聞いたら怒りそうな記事だよな。まあそういう仕組みの大学がある、っていう情報だけ受け取っておく。

大学院では主に婦人病を研究する。「自分で取り上げた女の子がいずれ妊娠したら、お産の面倒も見る。年を取れば、婦人病に気を配る。1人の女性の一生にずっと付き合える」。産婦人科に抱く思いは一変した。

まあ昔から、産婦人科医のやりがいとして、こういったことが言われるワケだが、正しくは、「様々な世代の女性を診ることができる」というだけで、「1人の女性の一生にずっと付き合える」のではないことに気を付けよう。何故かって? 自分もトシをとるからです。それも、ある一定の地域で長期間にわたって医師をしてないと不可能なので。それもなかなか難しい。仮に24歳で医師になったとして、74歳まで頑張って医療を続けたとして、医師人生は50年。1人の女性の患者に付き合えるのは、たかだか50年。それで一生を終えてしまった女性は、普通は短い方に入るかと思いますが・・・
「様々な世代の女性を診ることができる」のは、やりがいの一つだと言うことは否定しませんよ。一人の女性についても、この間まで婦人病の治療をしてた患者さんが、今度は妊娠でやってきて、病気の苦労も知ってる分、出産の喜びを人一倍共有出来るのも、大きな喜びですけどね。娘を妊娠・出産で、母親を子宮ガンで診るというのもよくある話ですし。「あら○○さん今日はどうしました」「いや今日は私じゃなくて娘の検診の付き添いで」とか、そういう人間関係は楽しかったりする。絶滅危惧種産婦人科医ですし、記事中の若い先生には、頑張れ、と言ってあげたいですね。